奥山 忠政(おくやま・ただまさ)
【略歴】
昭和35 年(1960)神戸大学法学部卒業。総合商社員~ホテル総支配人~大学講師を経て久留米大学大学院・前期博士課程に社会人入学(経
済学修士)
東アジア学会・企画委員
アジア麺文化研究会・事務局長
【主な著書・論文】
文化と文明の視角<共著>(1999 東海大学出版会)、ラーメンの文化経済学(2000 芙蓉書房
出版)、都市と農山漁村の新交流<共著>(2002中国経済出版社)、グリーンツーリズムが拓くアジアの未来(2005 JICA・久留米大学)
Email/ okuyama@sunglow.info

「幸せのかたち」と「ご当地グルメ」  

四国B級ご当地グルメ連携協議会 常任顧問 奥山 忠政

「成長」と「幸せ」

 「現在のまま人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境悪化で100年以内に人類の成長は限界に達する」と、ローマクラブが警告したのは1972年であった。あれから40年経ち、そろそろ焦り始めているハズなのに、世の中の大勢は何事もないかのようにふるまっている。
 エネルギーを例にとると、20年で枯渇すると言われていた石油資源が、新しい油田がつぎつぎと発見されたことで延命したうえ、シェールガス(オイル)の開発で緊張のタガが外れてしまった。こうしてまたしばし邯鄲の夢(はかない夢)にまどろむことになる。
 ここでちょっと考えてみたい。人類や民族の「持続性」を考える前に、今の「わたし」が「幸せ」なのだろうか。「成長」と「幸せ」にどんなつながりがあるのだろう?
 「グローバル化」を取り上げてみよう。「国境をなくして人々が自由に行き来し、みんな仲よくしよう」ということではない。「市場を拡大して売上を増やし成長を促そう」いう「売上第一主義」「経済至上主義」の延長であることに気づきたい。そしてそれが米国発想の「単一市場化」ということにも。
 誤解のないように言うと、そのような世界のあることに異をとなえているのではない。それはさておいて、われわれなりに「ローカル化」によってバランスをとろうと言うのである。
 その米国のことだが、1%の富裕層と99%の貧困層が分裂しているという深刻な社会問題のあることは周知のとおりだ。「グローバル化」は、この事態を世界に拡散させるにちがいない。

「都市」と「ローカル」

 平成22(2010)年度のわが国の「食品廃棄物(生ゴミ)」は2086万トンに及ぶという。そのほぼ半分は「食品ロス」とよばれるものである。「食品ロス」とは、「まだ食べられるのに廃棄される食品」のことで、規格外品・期限切れ・食材の余り・食べ残しなどである。
いっぽう世界には10億とも15億ともいわれる飢餓に苦しむ人たちがいる。仮に日本から1000万トンの食品が届くとすれば、どれほどの命が救われるだろう!
 スーパーで「1パック55円。2パックで100円」と書いてあると2パック買ってしまい、1パックは冷蔵庫の奥で忘れられたあげく生ゴミの運命をたどることが多い。業者にすれば、「55円ぽっちの売り上げでは効率が悪い」ということである。これが都市的生活のあり姿である。
 「ローカル」とは、都市と対比される単に地理的な地方や田舎のことではない。コミュニケーション(交流)によって結ばれた「地域共同体(コミュニティー)」を基礎とする社会である。これに対して、機能によって結ばれた「利益社会」が都市である。

 

 

「つながり」と「ご当地グルメ」

 コミュニティーの特徴は「思いやり」と「自己犠牲」にある。具体的には、祝祭行事や慶弔催事での協働に表われる。その際欠かせないのが「料理」である。こうして「ご当地グルメ」が育てられていく。(「グルメ」は「料理」をユーモラスに言い換えた言葉である)。ここでは、自然の恵みへの「感謝」と、命あるものが形を変えた食材に対する「もったいない」の気持ちが支配する。
 「グローバル化」で希薄になりつつある人のつながりや情感を取り戻そうとするのが「ローカル化」である。このことは、「成長がなければ幸せになれない」という命題(テーゼ)に対する反対命題(アンチテーゼ)と位置づけられる。
 「つながり」が幸せの源泉であり、食文化が協働の大きなテーマであることから、「幸せのかたち」としての「ご当地グルメ」の意義はおのずから明らかであろう。

四国B級ご当地グルメ連携協議会(四B連)
一般社団法人 四B連企画

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