国民食から県民食へ
明治30年代に、横浜中華街で「南京」と呼ばれていたラーメンは、明治40年代になると浅草に進出し、「支那そば」となる。以来、100年の歴史を経て、ラーメンは進化を続け、日本の「国民食」となった。だが、「国民食」であるラーメンは「県民食」でもある。
わが四国に目を投じると、地名を冠したラーメンが多いことに気づく。愛媛県では、肱川らーめん、松山ラーメン、カザハヤラーメン、今治ラーメン。香川県では讃岐ラーメン、小豆島ラーメン。徳島県には徳島ラーメン。高知県では須崎鍋焼きラーメンがある。
須崎鍋焼きラーメンは創刊号、徳島ラーメンは第2号で特集しているので、『BQ』のバックナンバーか四B連のHPをご参照いただくとして、これらの全国的な知名度を持つラーメン以外にも、注目すべきラーメンが四国各地に見られる。
紹介する個性的な麺の数々
今回紹介する香川県の『讃岐ラーメン』は、讃岐うどんに負けないラーメンをつくりたいという店主の情熱で生まれた。のどに流れるような麺とさらりと飲みやすいスープのラーメンは、うどん県という立地でなければ、成立しなかったと思われる。
愛媛県の『肱川らーめん』は、地元の発展を目指した第三セクターでつくられたものが話題を呼んでいたが、週刊誌が選ぶラーメンの一位になったことで人気に火がついた。ともすれば失敗に終ることの多い第三セクターの製品ではあるが、職員たちの努力により現在も続くロングセラーとなっている。
徳島県の『支那そば』は、徳島ラーメンの源流と呼ばれる屋台で誕生し、高名な料理となったものだ。この味が次代に引き継がれて、伝統スタイルと新しいスタイル模索との間で、新しいラーメンが萌芽しようとしている。伝統と創造のアンビバレンツは、どの食べものでも見られるが、そうした方向の違いをレポートした。
高知県の『中日そば』は、地元で廃れかけていた伝統の味を地域おこしの手段として再現した。手放しで旨いと叫びたいものではないが、懐かしい味として、地域で復活を遂げたのである。これを全国紙が「そこはかとなくまずい」と紹介して以来、注目されている。
これからの四国ラーメン
ラーメンは、麺、スープ、具の組合せによる食べ物だが、店主の独創によってさまざまな形態を誕生させることができる。そのため、地域の食材を使って新しいラーメンで地域おこしを図ることも多い。
ただし、新しい食材の開発は、失敗に終る可能性が高い。一過性のブームとなって、地元に定着することが少ないのである。「たかがラーメン、されどラーメン」ではあるが、何十年もその味を続けることで、ようやくご当地グルメとして認められるのである。
豊富な食材に囲まれ、加えて新しいモノが好きな四国の人々は、全国に通用するラーメンを創造し続けていけるのだろうか。 |