「B級グルメ」は、安価で日常的に食べられている庶民的な飲食物のこと。
このページではA級・B級にこだわらず、
地域の人々に親しまれている食材を使った料理や、
地域の人々から愛されてきた料理の「ご当地グルメ」をご紹介しています。
【団体】多度津鍋ホルうどん普及委員会

国鉄職員の思い出の
うどんが復活した

 「多度津鍋ホルうどん」は、しょうゆベースのホルモン鍋にうどんを入れて煮込んだ料理で、多度津町内で老舗焼き肉店を営む小原隆三さんの父親が1957年ごろに考案したという。
 多度津は四国の鉄道発祥の地である。多度津港と金刀比羅を結んだ鉄道が興った。そのため、今でも多度津港の近くに、旧国鉄時代の面影が残る多度津工場(現在JR 四国工場)がある。
 この工場は、地元の人達にコーキブ(工機部)と呼ばれて親しまれてきた。また、同じ敷地内にあったブッシブ(物資部)は、今で言うところのスーパーマーケットであった。
 戦後の復興期には、約3000人の職員が多度津工場で働いていた。当時は、夕方の5時になると一斉にコーキブの門から、多数の労働者が列をなして出てくる。これを見ていたある肉屋のおやじは考えた。
 「これで儲けるには?」
 当時、一般庶民は肉なんて、めったに口にできるものではなく、モツ(内臓)を食べる習慣もなかった。ところが屠場では、従業員は日常的にこれを食していた。おやじさんもモツの美味なることを知っていたのである。
 「ようし、この放るもん(ホルモン)と酒でひと儲けを」。
 さっそく、おやじさんは工場と駅のあいだに店を出し、コーキブの労働者相手に商売をはじめた。ブッシブで調味料を仕入れて、ホルモンの調理法と味に工夫を重ね、「鍋ホルモン」をつくりあげた。この味が職員の間で評判になり、店を繁盛に導いたのである。
 「鍋ホルうどん」は、「鍋ホルモン」の仕上げにうどんを入れたもので、いわば裏メニューであった。ほとんどの客が〆にうどんを入れて満腹になり、満足して帰っていったという。
 しかし、栄枯盛衰とはよく言ったもので、国鉄の合理化、民営化などで徐々に職員も減り、このメニューも地元の人から忘れさられようとしていた。
 それを復活させたのが、肉屋の二代目である。今では三代目に引き継がれ、ひそかな多度津の名物になっている。
 これを「まちおこし」の起爆材にと考えたのが多度津ライオンズクラブ内にある「多度津鍋ホルうどん普及委員会」の面々だ。現在5軒しかない営業軒数を10軒にまで増やそうと努力している。「鍋ホルうどん」の今後の発展に期待が寄せられている。

四国B級ご当地グルメ連携協議会(四B連)
一般社団法人 四B連企画
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